2014年8月18日月曜日

甲子園の名前の由来

不安定な天候が続く中、甲子園では高校野球が熱戦を繰り広げており、TV観戦を楽しんでいる方が多いのではないかと思います。

ところで、甲子園の名前の由来は干支(えと)から来ていることをご存知でしょうか?

以前、中国に出張した時に現地の人と会話している中で干支の話になり、「来年はブタ年だから・・・」と言われ、最初は何かのネタなのかなと思いましたが、話を続ける内に実はイノシシ年のことだったと気付きました。

話をよく聞いてみると、『亥(い)』とは日本では“猪”のことですが、中国では“猪”と“豚”を含めて『亥;ブタ』と言うそうです。

干支は古代の中国で考案され日本に伝来したものですが、もう少し正確に言うと、日本や中国以外にも十二支を使っている国があり、韓国やベトナムでもイノシシ年ではなくブタ年と言い、むしろ日本だけが例外でイノシシと言っているようです。

話がそれてしまいましたが、干支とは“甲、乙、丙、丁、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、葵(き)”の『十干(じっかん)』と“子、牛、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥”の『十二支』を合わせたものです。

この干支は十干と十二支とを組み合わせて60のパターンを作り、年を数えたり記録したりするときに利用しましたた。これを干支紀年法と言います。

年配者の中には「丙午(ひのえうま)に生まれた・・・は・・・だ」なんて今でも使っている人が居ますが、もっとこの代表的な使い方として、歴史で勉強した『大化の改新』は正式には“乙巳(いっし)の変”と呼び、この事件が起きた年である西暦645年は干支紀年法では乙巳の年に当たることから、こう呼ばれるようになりました。

同様に、甲子園が完成した西暦1924年は干支紀年法では『甲子(きのえね)』の年であったことから、甲子園と名付けたと言われています。

最近では高島易断のように占いなどで干支を使用していますが、それ以外では全く縁が薄くなってしまいました。

こんな話ですが『へぇ~、そうだったんだー』と言ってもらえれば幸いです。

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